愛知スズキ労働組合結成までの歩み

 記念すべき投稿第一回目は『愛知スズキ労働組合10周年記念史』より抜粋した愛知スズキ労働組合結成までの歩みです。2024年8月に愛知スズキ労働組合は10周年を迎えました。結成当初の思いを今後に引き継いでいくためにホームページ上でも掲載いたします。


今からちょうど10年前。当時の自動車業界は定休日がない、長時間労働は当たり前、実績がでてなければ休日出勤するのが当たり前の時代でした。離職する社員も多く、職場には不満がまん延していました。
しかし、なんとかしたいと思って声をあげても一人の声は弱く誰にも届きませんでした。
そこで立ち上がったのが初代委員長の中村士門さんでした。社員の声を会社に届けたい。この会社で働いてよかったと皆が思えるような会社にしたいという想いで労働組合設立を決意しました。
それから同じ想いをもった仲間があつまり2013年3月愛知スズキ労働組合設立準備委員会が発足しました。しかし、知識も人脈もないのでなにから始めればよいのかもわからず準備は難航しました。そこに現れたのがATグループ労働組合連合会(以下ATGW)でした。ATGWの支援を受け愛知スズキ労働組合は設立に向けて動き出します。
その中でも、我々の組合を結成したいという気持ちを真摯に受け止め、深夜まで続く資料作成に付き合い、適切なアドバイスをくれた愛知トヨタ労組の戸田光則さんと当時スズキとは関係ない立場だったのに惜しみない支援をくれた伊東真吉さんは特に組合結成における重要なキーマンとなりました。
そして2014年2月、初代委員長と関係の深かった木村常務に窓口となってもらい五十川社長に組合を結成したい旨を伝えました。しかし、その時の返事は「愛知スズキはいい会社だから組合は必要ない」というものでした。話は平行線となり、会社を納得させるために全社員の労働組合加入同意書を集めるということになりました。そして、全職場で説明会を実施し、もう一度社長のところへ行くことを決意しました。
組合結成にむけた職場オルグでは「頑張れ」「応援しているよ」という暖かい声もある一方で、「組合なんてできてもお金がかかるだけで何も変わらないのではないか」という厳しい意見もありました。しかし、準備委員会の熱い想いは少しずつ浸透していき、組合加入同意書の署名は次第に埋まっていきました。

中村士門氏と五十川洋司氏(当時社長)

そして2014年5月24日再度、五十川社長に労働組合を設立したい。「これが社員の声です」と集めた組合加入同意書を見せ、無事組合結成の承諾をもらいました。そして、ここから愛知スズキ労働組合設立準備委員会は結成大会にむけて動き出します。
結成大会まで残りわずか2か月。組合結成の要件には大会の開催が含まれています。しかし、ここで再び暗雲が立ち込めます。準備を進めるには資金、設備、場所が必要となりますが準備委員会にはどれもありませんでした。そんな救いの手を差し伸べてくれたのがATGWでした。ATGWは結成できなかったら回収できないリスクがあるなか、準備委員会に対して運営資金の貸し付けを決定してくれました。また、費用を節約するために大会の開催場所として愛知トヨタツインカム営業所のセリトスホールを貸してもらえるよう愛知トヨタに掛け合ってくれました。そしてはじめは組合結成に反対していた会社も協力する姿勢を示してくれ、本社(現星崎インター店)の階段下のスペースを事務所として提供してくれました。また、良識の範囲内での設備の使用も認めてくれました。そんな多くの人達の協力により、ひとつずつ不安要素はなくなり、愛知スズキ労働組合は2014年8月6日、愛知トヨタツインカム営業所セリトスホールで無事結成されました。
組合結成までの歴史を振り返ると多くの「人」に支えられたことを改めて実感します。そして、そのサポートのほとんどは今も続いています。「人の繋がり」や「人の良心」が集まってできた愛知スズキ労働組合はこれからも「人」を大切にしていきます。
組合綱領にもあるように組合の主人公は組合役員ではなく、職場で働くすべての組合員です。それぞれが「認め合い」「支えあい」「知恵を出し合い」、愛知スズキで働いてよかったなと思えるような会社にしていきましょう。次の10年、20年も愛知スズキ労働組合が輝くために主役になるのはあなたです。

結成時役員
結成時役員メンバー

参考:ASU年表はこちら→HISTORY

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